日時
2025年5月24日(土) 15:30–17:00
場所
百周年時計台記念館 2階会議室Ⅰ
かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
また、「議論」はしますが、なにか結論を導こうとして話をするわけではありません。テキストを読んで思ったことを自由に話してもらえばいいわけで、もちろんその場で誰かの発言をきいて思いついたことを話しても結構です。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回は「名演の複製」というテーマについて、ともに考えてみたいと思います。
テキストは、下記の申し込みフォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
テーマ・話題提供者
「名演の複製」岡本 考生(文学部)
世話人
宇佐美 文理(総合生存学館 特定教授)
対象
京都大学学部学生・大学院生(正規生)10名 ※学部生優先
使用言語
日本語
費用
無料
お申し込み
事前申し込み制のため、申し込みフォームよりお申し込みください。 受付終了
- 先着順 / 定員に達し次第、受付終了
- 当日参加不可
開催報告
- 参加者 : 5名
[内訳]
4回生2名(文学・教育学)
修士課程3名(農学・文学・人環)
- 談議メモ
「あの感動をもう一度——」
ライブ、コンサート、舞台、フェス——。どんな形の音楽であれ、「名演」と称されるものは存在する。だが、「名演」は何をもって名演と言えるのか。どのようにして生まれ出るのか。真の「名演」とはどんなものなのか。話題提供者の岡本氏は問いかける。
ここで氏は提起する——「名演」は奏でる者と耳を傾ける者の相互的な応酬である「囃す」事によって自ずから生じてくるものではないかと。演奏家はこれこそが良い演奏となるに違いないというある種強迫(パラノイア)的な信念の下で孤独と葛藤に苛まれつつも腕に磨きをかける。その一つの細くとも確かにあるベクトルが、舞台という場で観客に「囃される」事で増幅し、檀上の者もまたその演奏によって観客を囃し、やがて「我-汝」的に両者の胸に響き渡る「名演」へと昇華されるのである。
だが議論は「名演」の定義へと移る。則ち、「名演」とは飽くまでそれを「名演」と感じた人々の内でのみ共有される陶酔であって、万人にとって「名演」と感ぜられる演奏、ひいては万人が「美しい」と感じる美は果たして存在するのだろうか、と。「名演」——或いは「名作」——とは、何か普遍的に共感を呼ぶ「美」を包摂しているのか、はたまた同分野の権威に承認された事で聖性を付与されたに過ぎないのか。「名演」は「名手」が演奏するから「名演」なのか、それとも「名演」を演奏するから「名手」なのか…?
インターネットの普及により地球の裏側で行われているライブや過去の名演へ気軽にアクセスできる時代、音楽を奏でる事と楽しむ事について改めて考える必要があるだろう。
記録:数間 俊哉(人間・環境学研究科)
お問い合わせ
総合研究推進本部 百万遍談議担当
E-Mail:kura-jinsha*mail2.adm.kyoto-u.ac.jp *を@に置き換えてください