日時
2025年10月19日(日)15:30–17:00
場所
附属図書館3階 共同研究室5
かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
また、「議論」はしますが、なにか結論を導こうとして話をするわけではありません。テキストを読んで思ったことを自由に話してもらえばいいわけで、もちろんその場で誰かの発言をきいて思いついたことを話しても結構です。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回は「尊厳はどこにあるのか」というテーマについて、ともに考えてみたいと思います。
テキストは、下記の申し込みフォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
テーマ・話題提供者
「尊厳はどこにあるのか」岡本考生(文学部)
世話人
沼田 英治(総合研究推進本部 特定教授)
対象
京都大学学部学生・大学院生(正規生)10名 ※学部生優先
使用言語
日本語
費用
無料
お申し込み
事前申し込み制のため、申し込みフォームよりお申し込みください。 受付終了
- 先着順 / 定員に達し次第、受付終了
- 当日参加不可
開催報告
- 参加者 : 5名
[内訳]
1回生1名(農学)
2回生2名(文学・法学)
4回生1名(文学)
修士課程1名(人環)
- 談議メモ
尊厳——これは世界人権宣言第1条にもある言葉であり、人には生来の尊厳が無条件で備わっているという思想は現代民主主義の常識ですらある。普段ほとんど意識しないこの「尊厳」を改めて俎上に載せたいと、話題提供者の岡本考生氏(文学部)は提起する。
談議が始まると、早くもこの「尊厳」はそう自明ではないという意見が参加者から出された。テキストにあった「核戦争後の荒野に芽が出た大麦」を例にとってみる。世話人で生物学者の沼田先生いわく、余程の強い放射線を浴びた後でもない限り植物は発芽するとの事だ。しかし、人々は麦畑の一本ではなく被爆後の土地に芽吹いた一本を「芽出たい(めでたい)」と感じる、換言すれば「尊厳」を見出している。つまり、尊厳とは飽くまで他者によって認識される事で成立する、他者の存在を前提とした概念ではないかという問いが提起された。
また、現代における「尊厳死」の文脈から、尊厳と生死に関する議論も盛り上がった。中でも焦点となったのは「死者に尊厳はあるか」である。生物学的には「死人に口なし」であるが、死人(或いは遺体や遺骨)に尊厳があると信じる通念は古来の葬送方法から現代の死者のAI再現に関する論争まで広く見られる。もし死後も尊厳が存在するなら、尊厳の存否に生死は関係無いのではないかという大胆な見解も示された。
続いて、法哲学的見地も交えつつ尊厳と自由意志や人間の意義という議題へと移った。特に「自分には価値が無い」と考えている、すなわち自身の尊厳を否定している人にどう接するかという問いは深いものであった。また、先の尊厳の所在に絡み、人が己の尊厳を主張する事によって尊厳は初めて意味を成すという鋭利な指摘が出た。一方で、主張できない動物に尊厳は無いのか、また主張はするが空虚なAIに尊厳を認めるのかという新たな難題も湧出した。
記録:数間俊哉(人間・環境学研究科)
お問い合わせ
総合研究推進本部 百万遍談議担当
E-Mail:kura-jinsha*mail2.adm.kyoto-u.ac.jp *を@に置き換えてください